現役字幕翻訳者 田中武人氏のコラム 第四回
[2008-11-04]
第4回 「字幕は意訳の職人芸」
しつこいようですが、字幕には字数制限という永遠の宿敵がいるので、何でもないセリフでも尺(秒数)が足りなくて苦労することがあります。いくつか実例を挙げましょう。
(例1)
男:① Now didn’t you ever hear… (1.6秒)
② two wrongs don’t make a right? (2.2秒)
そのまま訳すと、「“他人が悪いことをしているからといって自分も悪いことをしていいということにはならない”という諺を聞いたことがないのか?」となります。原文は非常にシンプルなのに、日本語にすると、かなり持って回った表現になってしまいます。こういうセリフは字幕屋泣かせです。しかも途中にブレスがあるので、2枚に分けねばなりません。日本語で同じような諺があればそれを使うのですが、この場合は残念ながら思いつきません。さんざん頭をひねった挙句、出てきたのは次のような訳でした。
(訳例)①「他人が悪人でも─」
②「自分を正当化できない」
(例2)
男: Sometimes we think we want the truth, until we actually get it. (3.3秒)
直訳すると「時に私たちは真実を求める。実際にそれを手に入れるまでは」です。これではよく意味が分からないので意訳すると「求めていた真実を手に入れると、失望することがある」となります。文芸翻訳ならこれでいいのですが、字数以内に収めるとなると、さらなる意訳が必要です。
(訳例1)「知らない方がいい真実もある」
もし、このセリフを哲学的な意味で言っているなら、次のようなカタい訳も考えられます。
(訳例2)「時に真実は人を失望させる」
(例3)
男:① I loved her and you took that away from me. (2.3秒)
② You killed her. (1.3秒)
③ All she wanted was a chance. (1.5秒)
最愛の女性を殺された男が、犯人に向かって投げつけたセリフです。①と②は難しくないのですが、問題は③です。「彼女が求めたのはチャンスだけだ」では長すぎます。「チャンス」という単語にこだわっていたら、いい訳は浮かびません。このようなセリフはセンテンス単位で読み替えて意訳するのです。
(訳例)①「彼女を愛してたのに」
②「なぜ殺した」
③「やり直せたのに」
字幕というのは「意訳の職人芸」と言えるでしょう。原文を無視して飛躍するのではなく、そのときのシチュエーションに合わせて、一語一句を尊重しながら端的な表現を探していくのです。




